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日本が誇る偉人「上杉鷹山」。歴史から現代に必要なことを学ぶ

 
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1978年9月30日生まれ。 春日部育ち、渋谷区在住。 「雇われない・雇わない生き方」をするひとり税理士。 ひとり、もしくは少人数で活動している事業主(経営者)のサポートを中心に活動しています。
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成せばなる、成さねばならぬ何事も 
成らぬは人の、なさぬなりけり

ご存知、上杉鷹山が残した名言です。

鷹山の人生を見てみると、人類は後退してしまっているのではないか…、と考えてしまいます。

やはり苦境を脱するためには、強烈なリーダーが必要なのかもしれません。

※上空からの富士山

 

どんな人物?

上杉鷹山の生い立ちは次のとおりです。

・1751年 九州の高鍋藩主秋月種美の次男として生まれる。

・10歳のとき上杉家の養子となる。

・17歳で米沢藩の藩主となる。
※当時の米沢藩は財政が火の車であり負債額が何百万両にもおよんでいた。また民の生活も極貧状態であった

・「行政改革」「産業改革」「社会および道徳の改革」を実行し、借金まみれの米沢藩を復興。藩は安定し、民は物に富み、国中が豊かに満たされた。

・1822年3月19日、最後の息を引き取る。
※葬儀の日には何万人もの会葬者が路にあふれた

 

ひっ迫した財政は現代と同じ

太閤以前の日本おいて、上杉藩はもっとも大きな藩でした。

その後太閤の手で会津の地に移されしまい、その勢力が衰えてしまいましたが、それでも百万石余の大藩であり、上杉家は日本の五大名の一人に数えられていました。

しかし、関ヶ原の戦いで反徳川側についたため領土を三十万石に減封され、中央から外れた米沢の地が与えられました。

その後もさらに石高は減らされ、鷹山が藩主になったときの上杉家は、十五万石の大名となっていました。

上杉家は十五万石の大名となりましたが、昔のまま百万石の家臣を抱え続け、そして貧しい大名にも関わらず豊かな時代を謳歌していた古い慣習を踏襲し続けたため、財政はどんどんひっ迫していきました。

国の収入(税収)が減っているのに支出はそのまま、若しくは増加。
(どこかで聞いたことがあるような…。)

藩は、支出が収入を上回ってしまっているため、収入を増やすため民に重税を課すようになります。
結果、民の生活はますます貧しくなるし税収も減る一方。逃げ出す民も後をたたなかったそうです。

こんな状態で藩主となった鷹山は、生涯をかけて改革を実行することになります。

なんだか現代、そして今後の日本の財政状態と似ていますが…。

 

行政の改革

まずは支出を減らすため、自身の倹約を実行しました。

鷹山自ら家計の支出を千五十両から二百九両に切り詰め、女中も50人から9人に減らし、自身の着物も木綿に限り、食事は一汁一菜をこえないようにしました。

家来にも倹約をさせ、毎年の手当も半分に減らしました。

鷹山はこの状態を16年(!)も続け、それによって貯めたお金を負債の返済に廻し、やっとのことで重い債務から脱することができました。

現代の予算を使い切ろうとするお役人さん、そして政務活動費をちょろまかそうとする政治家の方たちには、この姿勢を見習って欲しいところです…。

また、こういった活動の他に、当時の封建制度としては異例である「適材適所」を実行しました。

つまり「能力に応じた人の配置」を実行し、能力のある人物を抜擢、手当を支給し、郡奉行や説教師、警察として民の上に配しました。

当時としてはある意味常識外の行為なので、当然既得権益を有する反対勢力も多数存在しましたが、さすがの旧勢力も鷹山を慕う民の声には勝てなかったようです。

 

産業改革

上杉家に与えられた米沢には海岸がないため海産物はとれません。
そして土地の産出力と自然の資源の面でも、日本でかなり悪い方でした。

鷹山はこういった状況に置かれていても、藩主と領民との努力精進により十五万石の所領でも30万石はもたらすことができると考えており、自身と民の努力で成し遂げられると信じていました。

武士たちを平時には農民として働かせ、荒廃地から何千町歩にもなる土地を興しました。

また、鷹山は領内を日本最大の絹の産地にすることを目標としてました。

自身で倹約した資金を投じ、50年間続けた結果、自分で始めた数千本の桑株は全領内に植える余地がないほど広がったそうです。

米沢産の絹は、最高級品の一つとして、現代においてもその品質の高さを世界に誇っています。

 

社会および道徳の改革

現代の西洋思想と違い、日本古来の東洋思想は「経済」「道徳」とを分けない思想でした。

富みは常に徳の結果であり、両者は木と実との相互の関係と同じであるとみていました。
木を大切にし、しっかり栄養を与えれば、労せずして確実に結果は実ります。

民を愛すれば富は当然もたらされる。「ゆえに賢者は木を考えて実を得る。小人は実を考えて実を得ない」

こういった儒教の教えが、鷹山の産業改革の中心となっていたのかもしれません。

鷹山は産業改革の目的として、家臣を「有徳」な人間に育てることを中心に置いていました。

菅子曰く「衣食足りて礼節を知る」。

富みを得る、それによって鷹山が天から託された民が「礼節を知る人」になる。

「人の道」に導くためには、当然自分自身もその道を歩んでいなければなりません。

鷹山はそれをしっかり理解し、そして自身も「人の道」へ進むようしっかり律することで、民はそんな鷹山に惹かれていったのでしょう。

”上”の人たちは、常に”下”の人たちから背中を見られ、そして同じように行動するものです。

部下の失態を嘆いている上司の方は、まずは自分の背中を確認してみましょう。

 

歴史から学ぶ姿勢

明治維新以降の西欧化、そして太平洋戦争の敗戦の影響もあって、日本人が本来有している東洋的思想がなくなってきています。

「損得」と「精神」が分離している西欧思想の陰りが現代に出てきているように感じています。

今の日本に必要なのは、統計や科学的研究から導き出された細切れの政策を掲げる政治家ではなくて、東洋的な精神をもった「サムライ」なのかもしれません。

鷹山の人生の何万分の一もここで伝えることはできていませんが、深く知れば知るほど偉人であったことが痛感させられます。

こういった偉人が数多く輩出している日本。

憲法改正に注力するのもいいですが、社会の根源でもある教育(頭の良さではなく「人の道」としての教育)についても、国をあげて議論を交わす時代にきているのかもしれません。

 

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【昨日の心・技・体】
心:読書(「むずかしい税法条文」攻略本/村木慎吾,内藤忠大,濱田康宏,岡野 訓,白井一馬)
技:なし
体:@自宅トレ
・腕立て×2セット
・シャドーピッチング×100

 

 

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