税理士試験の勉強は「不便」。 しかしそれが自分を変える

今年の税理士試験まで残り2ヶ月をきりました。

税理士試験を受けている方、もしくは受けたことがある方はご存知だと思いますが、試験勉強は暗記中心のアナログ方式であり、非常に多くの時間を必要とします。

しかし、真剣に取り組んだその時間はご自身の人生にとり、とても有益なものとなります。

簡単ではない。そこに対する自分の努力を認めてあげましょう。


※ワット・トライミットにある黄金の仏像

 

「不便」の中に効果がある

世の中には「便利」なものが溢れています。

人の手間を省くため、物事を便利にし、そして人を楽にする。

その代表例としては”自動化する”ことですが、果たしてその”自動化”がすべて人の役に立ち、そして人を喜ばせる結果に繋がるのでしょうか。

登山を例にとっても、頂上まで直通のエレベータを作り人を楽にしたところで、それが登山家の役に立つ事は無いでしょう。

「便利」が、全て人、そして自分のためになるのか常に頭を使って考える必要があります。

「不便」だからこそ得られる効用もある。

税理士資格を取得することは楽ではなく、手間もかかります。

だからこそ得られる効用もあるのです。

 

「アンキパン」では人は変わらない

ドラえもんの秘密道具のひとつに「アンキパン」というものがあります。

ご存知の方も多いと思いますが「アンキパン」とは暗記したいときに使う食パンみたいな食べ物で、そのアンキパンを暗記したい部分(教科書や問題集など)に押し当てると、合わさった部分がアンキパン側に転写されます。
その状態のアンキパンを食べると、転写した内容を覚えることができるというものです。

たしかにこれは、人の手間を省き、物事を便利にし、そして人を楽にします。

このパンを食べ続けることができれば、税理士試験も一日の勉強で終わるかもしれません。
(実際はそんな量食べれないので、一日では無理ですが)

しかし、それで”資格”というモノは取得できるかもしれませんが、その学習の過程で”人”としては成長したものは何もなく、「よく分からないけど知ってる」という事象に対するリアリティーを裏付けるものもなく、そしてそれを保証するものもありません。

果たしてそこに”人”として生きていく喜びはあるのでしょうか。

 

自分を変える主体を自分にする

「便利」=手間がかからず、頭を使わなくてもいいこと。
「不便」=手間がかかり、頭を使うこと。
と定義すると、税理士試験は明らかに「不便」です。

税理士試験は「物理的労力」も「精神的労力」も多大に要します。

その労力に共通することが”努力をする”という行為です。

努力をせずに人が変わることはありません。ましてや一日で取得できる資格で人は決して変わりません。

努力をすることで自分を変えた主体を、”モノ”ではなく”自分”にする。

それは税理士試験だけではなく、人生全体を通しても共通することであると考えています。

現在勉強をしている方は、今しているその”努力”により自分を変えていくことで、今後、何度も訪れる壁を乗り越える力を手にすることができるでしょう。

不便だからこその価値がある。それを信じて最後まで諦めないことが大切です。

 

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【編集後記】
先日、パナマが中国と国交を樹立し台湾と断行をしたことによって、台湾は苦境に立たされています。

おそらく中国のこういった外堀から埋めていく圧力はパナマのみではなく、中南米、そしてアフリカを中心として加速していくでしょう。

中国は台湾を中国の一部する「一つの中国」を主張してきています。

歴史的に見て、台湾が純粋に中国の一部とされていた時代は約二百数十年と、思われているよりそんなに長い期間ではありません。

もともと不毛の地であった台湾を近代化させたのは、19世紀末から台湾を統治していた日本であることは周知の事実ですし、何回か訪れた感触では、民族性もなんとなく中国人というよりは日本人に近い感じがしています。

しかし、領土問題というのは、なんだかんだいって結局は「力ずく」で決着がつくものです。

話し合いのみで領土問題が平和的に解決された事例はゼロに近いといってもよいでしょう。

中国が台湾を中国の一部とするべくこのまま力ずくで事を進めていくのであれば、台湾が「力」で応戦をしない、最終的には中国の一部となるでしょう。

「戦う」ことを放棄する、というのは聞き感触のよい言葉ですが、裏を返せば力ずくで攻められた時には何もせず領土を明け渡す(むしろ差し出す)ということと同じ意味です。

竹島にしても尖閣諸島にしても、韓国軍や中国軍(人民解放軍)が命をかけて占領しようとしたとき日本が何もしなければ、それは占領したものが支配することになってしまうのです。

中国の南沙諸島に人工島を建設したのがいい例で、あの島を強制的に排除することはできないのです。

国際法や歴史が、などといってもそれらには何の拘束力もなく、そして領土を自国に帰属するものとして主張する根拠にもなりません。

太平洋戦争から70年以上が経過し、「戦う」ということが非日常となった日本。
世界には未だに”領土”や”国”のために「戦い」が日々行われています。

もちろん戦争は全力で回避しなければいけないし、国民の生命の安全を最優先にしなければなりません。政治家もそれを最優先事項としなければなりません。

しかし、昨今の中国の巨大化(肥大化)によって、いざとなったらアメリカが〜などと、いつまでも言ってられない時代になってきています。

明治維新による鎖国終焉による日本が世界から様々な圧力を受けた激動の歴史、そして太平洋戦争に日本が参戦するに至った経緯、そして終戦までの葛藤など、今こそ先人に学ぶ必要があるのかもしれません。

 

【昨日の心・技・体】
心:読書(おなあちゃん/多田乃なおこ)
技:米国公認会計士の試験勉強
体:自宅トレ
・腹筋トレーニング×2セット

 

 

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この記事を書いた人

1978年9月 茨城県水戸市生まれ、埼玉県春日部市育ち。
東京都渋谷区在住。愛犬は4歳、娘2歳。
趣味は、野球(毎週日曜日)、愛犬の散歩。

雇われない・雇わない生き方である「ひとり税理士」として活動しています。

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